ちょっと待って!江戸時代「安政の大獄」は本当に大弾圧だったのか?井伊直弼の本当の目的と後世の誤解 (3/5ページ)

Japaaan

さらに外国人を追い払う「攘夷」を求める、いわゆる「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」を複数の藩に送り付け、政治的な影響力を強めていきました。

孝明天皇(Wikipediaより)

井伊直弼自身も日米修好通商条約の締結についてはかなり慎重な姿勢で臨んでいたのですが、孝明天皇の暴走によって幕府はメンツを潰された形になります。

この時、井伊は幕府内の敵対勢力と、それから朝廷と争っていたことになります。こうした状況を打破するために行われたのが、後に安政の大獄と呼ばれるようになる一斉処分だったのです。

つまり井伊の意図は「日米修好通商条約の反対派の弾圧」ではありませんでした。

「大獄」の実態は?

安政の大獄と呼ばれる一斉処分の内容を見ると、井伊は敵対していた一橋派を要職から外して、関係者を相次いで捕縛しています。さらに「戊午の密勅」に関係した公家も、自主という形で処分されました。これが主な処罰対象者です。

幕臣・朝廷・諸藩の家臣や大名まで摘発するというのは異例のやり方で、かなり容赦のないやり方だったのは間違いないようです。この中で、老中暗殺計画を企てた吉田松陰や、他にも橋本佐内などが処刑されたのは有名な話ですね。

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