ちょっと待って!江戸時代「安政の大獄」は本当に大弾圧だったのか?井伊直弼の本当の目的と後世の誤解 (2/5ページ)

Japaaan

■こちらの記事も合わせて読みたい

尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【前編】

尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】

二度目のペリー来航時の徳川幕府の将軍は徳川家定でしたが、彼は病弱で嫡男がいませんでした。よって家定が生きている間に次期将軍を決めておかなければなりません。

そこで候補に挙がったのが、井伊直弼が推薦する紀州徳川家の慶福島津斉彬の推薦する一橋家の慶喜でした。この時の後継争いでは、慶福派が一応の勝利を収めています。

しかし、その後も一橋派には巻き返しを狙う者が大勢おり、慶福を推薦した井伊直弼は気が気ではありませんでした。

そんな中で、孝明天皇は、幕府が天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約を締結したことについて、責任を追及しようとします。

「ちょっと待って!江戸時代「安政の大獄」は本当に大弾圧だったのか?井伊直弼の本当の目的と後世の誤解」のページです。デイリーニュースオンラインは、尊王攘夷安政の大獄井伊直弼幕末江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る