世界中で愛される“2人の天才”二刀流・大谷翔平と八冠・藤井聡太の育て方 (5/6ページ)

日刊大衆

それは小学生時代、父の徹さんから与えられたものだった。

「(1)大きな声を出して元気よくプレーする、(2)キャッチボールを一生懸命にやる、(3)最後まで全力で走る、徹さんはいつも繰り返しこの三つの心がけを説いていたそうです。大谷の全力プレーは、ここから生まれていたんですね」(前出のスポーツジャーナリスト)

 野球を続けるうえでは、何より、基本を大事に、手を抜かず、諦めずにやることが大事そんな思いが込められているのだという。

■読書家として知られる

 2人を導いた「教え」は、学校にも存在する。大谷が通った花巻東高野球部の佐々木洋監督は、同校の日本史の先生でもあった。

「大谷が高3で進路に悩んでいた頃、日本史では、ちょうど幕末の授業があった。そこで佐々木さんは、損得ではなく、命がけで国を変えようと行動した維新の志士たちの生き様を教えたんだそうです。志を持つ大事さを、伝えたかったんでしょうね」(前同)

 読書家として知られる大谷の愛読書の中には、勝海舟の本もあるという。

■数学が得意科目

 一方、藤井の高校時代の得意教科は数学。彼の通った高校には、数学の授業に大きな特徴があった。

「問題の解法を一つに絞らず、さまざまな切り口の解法を用いて答えを求めるように指導するんだとか。これは将棋の思考パターンに近く、現に数学の授業で、藤井さんは光るセンスを見せていたそうです」(全国紙文化部記者)

 両親、指導者、先生……多くの人たちの影響を受けながら、2人は成長し、自らの道へと進んでいった。

「聡太は中学でプロの棋士になって、もうこの時点で、すべての時間を将棋に使いたいという、人生設計ができていた。結局、高3の正月頃に高校中退を決意したようですが、お母さんも、彼の選択と思いを尊重したようです」(前出の文本氏)

■自分自身で人生の選択

 それは、大谷の両親もまた、同様だったようだ。

「大谷家は、子どもの人生の選択に口出ししない方針だそう。

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