【どうする家康 予習】関ヶ原合戦…江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える当日の様子を紹介 (3/6ページ)
敵味方合わせて20万近くにもなら大軍同士が、関ヶ原の青野ヶ原に陣取りました。
やがて戦闘が始まると両軍の旗が東西にひるがえり、汗馬は南北に駆け違います。矛先から火花を散らして戦うさまは、実に壮絶なものでした。
……上方の勢は軍将の指揮も思ひ思ひにてはかゞかしからず。剛なる味方の将卒にきり立られ。其上思ひもよらず兼て味方に内通せし金吾秀秋をはじめ裏切の輩さへ若干いできにければ。……
※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」
【意訳】三成が率いる上方の軍勢は、部隊ごとに思い思いの指揮をとって統率がとれず、戦況も捗々(はかばか)しくありません。
一方家康率いる東国の軍勢は一致団結。上方の軍勢を大いに斬り立てたのです。
そんな中、かねて家康と内通していた小早川秀秋が徳川勢へ寝返り、それに乗じて寝返る者が続きました。