【どうする家康 予習】関ヶ原合戦…江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える当日の様子を紹介 (5/6ページ)
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※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」
【意訳】なぜか最後まで居座っていた島津義弘の軍勢も敵中突破で戦線離脱。他の者たちも落ち延びていきました。
※家康を震え上がらせた「島津の退口(のきぐち)」はこちら
千五百 VS 十万?薩摩武士の精強さを天下に知らしめた、関ヶ原の戦い「島津の退き口」かくして家康たちが上げた敵の首級は実に35,270余り。そこまで数えたなら、あと1桁頑張って数えて欲しかったですね。
一方、徳川方の討死は3,000余り。大将クラスはみな無事でした。この大戦果に、家康は大方ならず喜んだといいます。
……(大道寺内蔵助が物語とてかたり傳へしは。凡関原の戦といふは。日本国が東西に別れ。双方廿万に及ぶ大軍一所に寄集り。辰の刻に軍始り。未の上刻には勝負の片付たる合戦なり。かゝる大戦は前代未聞の事にて。諸手打込の軍なれば作法次第といふ事もなく。我がちにかゝり敵を切崩したる事にて。追留などと云事もなく四方八方へ敵を追行たれば。中々脇ひらを見る様な事ならずと見えたり。是目撃の説尤實とすべし。
