【どうする家康 予習】関ヶ原合戦…江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える当日の様子を紹介 (4/6ページ)

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……敵方に頼み切たる大谷。平塚。戸田等をはじめ宗徒のもの共悉くうたれ。浮田。石田。小西等もすて鞭打て伊吹山に逃いり。……

※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」

無念の最期を遂げる平塚為広(画像:Wikipedia)

【意訳】こうなると上方勢は大混乱。大谷吉継・平塚為広・戸田勝成らは奮戦するも衆寡敵せず、ことごとく討たれてしまいます。

宇喜多秀家・石田三成・小西行長らは鞭を打って伊吹山へと逃げ込んだのでした。

……島津も切ぬけ。其外思ひ思ひに落てゆけば。味方の諸軍いさみ進て首をとる事三万五千二百七十餘級。見方も討死するもの三千餘ありしかど。軍将は一人も討れざりしかば。 君御悦大方ならず。

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