【関ヶ原の戦い】雨が降ってご飯が炊けない。そんな時に飢えをしのぐため徳川家康はこうした (3/3ページ)

Japaaan

食べたいけど、ひたすら我慢(イメージ)

腹が減っているのに、4時間近くも待たされるのは辛かったでしょう(中にはちょっと盗み食いした者がいたかも知れませんね)。

さて、秋の日はつるべ落とし、辺りは次第に暗くなります。

雨はどんどん強くなり、まるで戦さの血に穢れてしまった大地を洗い流すようでした。

地表を流れる血はあちこちの川へと流れ込みます。その水につけておいた米を引き上げたところ、米は赤く染まってしまったということです。

「うへぇ……」

赤とも朱ともピンクともつかない米。何とも不気味ですが、これ以外に食うものはありません。

腹が減っては戦ができぬ。腹が減っては生きて帰れぬ。そう思いながら、みんなでむさぼり食ったことでしょう。

終わりに

やっぱり炊いたご飯が一番(イメージ)

以上、関ヶ原の戦いが終わった後の生米エピソードを紹介してきました。

よく現代でも「家に帰るまでが遠足です」などと言いますが、まさに合戦も「無事に生還するまでが戦さ」でした。

時代劇などでは、尺の都合からあまり描写されない兵站(へいたん。物資の補給や調達、その他将兵の生活場面)ですが、こうしたリアルな場面も戦場の緊張感を伝えてくれます。

華々しい合戦の裏では、こんな悲喜こもごもがあったのだと感じることで、歴史作品をより一層味わえるのではないでしょうか。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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