関ヶ原の戦いで活躍した織田有楽斎&長孝父子。しかし家康からの評価は散々……【どうする家康】 (2/4ページ)
よう倒されたな」
「歳も考えず、鎗働きなどいたしました」
家康に褒められ、少し得意げに謙遜した有楽斎。しかし家康の顔は哀しみに曇ります。
「……内府様?」
いぶかしむ有楽斎に、家康は答えました。
「この備中めは、若い頃より用立つ者であった。出来れば生かして召し抱えてやりたかったが、不憫な事よ……」
今にも泣き出さんばかりの家康に、有楽斎は戸惑いを隠せません。
これではまるで、蒲生頼郷を討ち取ったこちらが悪いみたいではありませんか。
「……まぁ、これも武門の習いなれば致し方あるまい。入道殿、どうか備中を、懇ろに弔ってやってくれ」
「御意」
実に後味の悪い思いで、有楽斎は御前を退出したのでした。
戸田重政を貫いた村正の槍が……
……入道が子河内守長孝も戸田武蔵守重政が冑の鉢を鎗にて突通せしと聞召。其鎗とりよせて御覧あるに。いかゞしてか御指にさはり血出ければ。村正が作ならむとて見給ひしに果して村正なれば。長孝も迷惑の様して御前を退き。御次の者に事のゆへよしをとひて。はじめてこの作の 当家にさゝはる事を志り。御家の為にならざらむ品を所持して何かせむとて。さし添を抜きてその槍を散々に切折りしとぞ。