関ヶ原の戦いで活躍した織田有楽斎&長孝父子。しかし家康からの評価は散々……【どうする家康】 (3/4ページ)
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※『東照宮御実紀附録』巻十「家康感謝黒田長政」
続いて御前に参上したのは有楽斎の息子・織田長孝(河内守)。彼も敵方の猛将・戸田重政(武蔵守)を討ち取り、その首級を家康に献上します。
家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【上】 家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【下】重政の首級は兜をかぶせられ、その鉢(脳天)は槍で貫かれていました。
「おぉ、河内の。此度の働き、まことに見事であった!」
どうやら重政は特に家康のお気に入りでもなかったようで、これと言ってご機嫌も損ねていません。
「兜の鉢を槍で貫くとは、槍の鍛えも腕前も、実に立派なものじゃ」
「過分のお褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」
「どれ、その槍を見せてくれぬか」
「は、こちらにございます」
長孝が恭(うやうや)しく差し出した槍を、興味津々で手に取る家康。しかし……。
「痛てっ!」
家康は手に取った槍の刃に触れ、指先を切ってしまいます。