関ヶ原の戦いで活躍した織田有楽斎&長孝父子。しかし家康からの評価は散々……【どうする家康】 (4/4ページ)
「申し訳ございませぬ!」
「おぃ河内の!この槍は、よもや村正ではあるまいな!」
「は、いかにも村正の作にございます」
その返答を聞くなり、家康はカンカンになって長孝を追い出してしまいました。
と言うのも、徳川家(松平家)は代々村正によって身内を喪っている恨みがあるのです。
祖父・松平清康も、父・松平広忠も、そして嫡男の松平信康もみんな村正で命を落としていました。
「おのれ村正、どこまでも徳川家に仇なしおるか!」
徳川家中においては既に帯刀を禁じた村正ですが、他家の者は盲点でした。家康は脇差をすっぱ抜くなり、長孝の槍を滅多打ちに叩き折ってしまいます。
まったく、長孝にして見れば、愛用の槍を奪われていい迷惑でしたね。せめて代わりの槍を与えられていればいいのですが……。
天下人・家康も恐れをなした!?妖刀「村正」と徳川家にまつわる因縁とは 終わりに以上、関ヶ原の合戦における織田有楽斎&織田長孝のエピソードを紹介しました。
命がけで戦って、武勲を立てたにもかかわらず、二人ともかわいそうでしたね。
天下分け目の合戦を制した家康は、その後着々と豊臣の天下を奪っていくのですが、その陰にはこんな悲喜こもごもがたくさんあったのです。
他の武将たちについても、改めて紹介していきたいですね。
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
