その腕前に家康も関心!徳川家で弓術師範を務めた竹内信次の活躍ぶりやいかに?【どうする家康 外伝】 (2/3ページ)
皆の者、よう稽古してもらえ」
「「「……御意」」」
小牧・長久手の戦いで活躍![](https://image.dailynewsonline.jp/media/6/e/6ec3d9ec8acb8e242482ca7f64c6f98e01851f23_w=666_hs=d6fe358a44a87d156e378964e8f7c8cb.png)
かくして徳川家の弓術師範となった信次。しかし家臣たちは面白くありません。
「何が八蔵じゃ。殿の仰せだから大人しく従うが……」
「あの生意気な小童、実戦ではいかほどかのう!」
信次の初陣は天正12年(1584年)、後世に伝わる小牧・長久手の戦いです。
ここで信次は得意の弓術を駆使して敵を次々に射止め、名だたる首級を二つも獲たのでした。
この時、信次は戦利品として唐頭(からのかしら。ヤクの毛で飾られた兜。高級品)と、村正の脇差を手に入れます。
自分のものにしてもよかったのでしょうが、信次はこれらを仲間に分配。唐頭は加々爪次郎右衛門に、脇差は内藤家長に与えたということです。
エピローグ●信次
八蔵 五左衛門 母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、御小姓を勤む。時に十九歳 そののち御徒の頭に転ず。信次少年のとき、射芸をこのみ、よく的に中つ。