徳川家康の本陣まで突入!「大坂の陣」で見事な武勇を見せた猛将・毛利吉政(勝永)の活躍 (2/4ページ)
また、天正15年(1587)の九州平定、肥前国人一揆鎮圧の功績により、豊前国小倉6万石を拝領。小倉城を築城すると共に、内1万石を吉政に与えました。
この頃から、秀吉の指示によって森姓から毛利姓に変更しています。一説にはこの改称には毛利輝元の推薦があったといわれています。
それを裏付けるように、天正16年(1588)に吉政は輝元の接待役に任命され、能興行で太鼓を披露しました。
慶長2年(1597)には父と共に慶長の役に従軍。吉政は日本人が朝鮮の地に建てた蔚山(ウルサン)倭城で窮地に陥っていた加藤清正を救援した上で、明・朝鮮連合軍を撃破する活躍を見せました。
また、朝鮮で入手した犬を豊臣秀次に贈ったことで、礼状を貰っています。
関ヶ原の戦いと改易
関ヶ原の戦いでは父と共に西軍に加担。吉政は伏見城の戦いに参加し、戦功を挙げたことで輝元と宇喜多秀家から3000石の加増を受けました。
ちなみに、父の吉成は豊前国に留まっています。
徳川家康と石田三成が激突した関ヶ原本戦では安国寺恵瓊の指揮下に置かれましたが、家中の混乱に巻き込まれ、活躍なく終わりました。
戦後、毛利親子は家康が伏見城普請中に木材不足で困っていた際、窮地を救った恩により処分はありませんでした。