徳川家康の本陣まで突入!「大坂の陣」で見事な武勇を見せた猛将・毛利吉政(勝永)の活躍 (4/4ページ)

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家康本陣へ突入する奮戦ぶり

真田信繫と徳川家康/Wikipediaより

翌年の大坂夏の陣では冬の陣で活躍できなかった分、多大な活躍を見せました。

まず、道明寺の戦いで戦死した後藤又兵衛の敗残兵をまとめ上げて撤退しました。この時、又兵衛を死なせてしまい自責の念に駆られる信繁を励ましたと言います。

その後の天王寺の戦いでは、本多忠勝の次男・本多忠朝や小笠原忠脩(ただなが)を討ち取り、小笠原秀政には重傷を与えました。

その勢いのまま、榊原康勝や本多忠純、安藤直次を含んだ10個の部隊を撃破。家康の本陣まで突入する武勇を見せつけました。

しかし、共に家康本陣に突入した信繁の部隊が壊滅すると、吉政は撤退します。その際、諸将の攻勢に加担しつつ、大坂城へ入城しました。

そして、秀頼の介錯を行った後、長男の毛利勝家や弟の山内吉近と共に自害しました。戦後には次男の太郎兵衛も処刑されました。

最後に

真田信繁と共に家康の本陣に突入した活躍があるにもかかわらず、ここまで知名度が低いのは大坂冬の陣であまり活躍できなかったことが大きな要因かと考えられます。

ここまで活躍したにも関わらず、あまり語られていないのは不憫に感じてしまいますね。

参考:今福匡『真田より活躍した男 毛利勝永』‎2016年、‎宮帯出版社

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