【関ヶ原の合戦】米津正勝と小栗忠政、仲間同士での武功争いの勝者はどちらに?【どうする家康】 (2/3ページ)
目や耳が手足の働きをしたがるようでは、身体が上手く動かせなくなってしまうでしょう。
「……血気に逸り、申し訳ございませぬ。まこと不覚にございました」
がっかりして家康の御前から下がり、持ち場に戻った清右衛門。すると間もなく、又一が戻ってきました。
その手には、宣言どおりに兜首を持っています。
「よう清右衛門。その顔は、叱られたようじゃの」
「ふん。そなたも叱られて来るがよいわ」
清右衛門の捨て台詞を聞いて、又一は笑いました。
「いや、この兜首はあくまでそなたと張り合うために獲ったまで。実検に供しようとは思っておらぬ」
そう言って、又一は持っていた兜首をかたわらに投げ捨てます。
「あーあ、勿体ないのぅ」
「仕方あるまい。我が武功にならんのなら、首なんぞただ重いだけじゃ」
「……まぁ、そうなるな」
谷川へ転げ落ちた兜首を眺めながら、二人はしばし立ち尽くすのでした。
終わりに……米津清右衛門正勝敵の首取来て小栗又一忠政に向ひ。我ははや高名せしといふ。忠政かねて清右衛門と中あしければ。汝が志らみ首とるならば。我は冑附の首取てみせむといふて先陣へ馳ゆく。清右衛門はかの首を御覧に入しかば。使番つとむる者は先手の様を見てはやく本陣に注進するが主役なり。首の一つや二つ取て何の用にか立とて警め給ひしなり。忠政はやがて冑付の首とり来て清右衛門に。これ見よ汝になるほどの事が我になるまじきかといひて。