薩摩藩vsイギリス「薩英戦争」実は善戦していた薩摩藩!そのうえイギリスとも仲良しに (3/4ページ)
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また、強風によって押し流され、薩摩藩の砲台の射程距離内に押し出された艦も多くありました。例えばユーリアラス号がそうで、沿岸付近に押し流されたため艦長と副館長が戦死しています。
薩摩藩が善戦したもうひとつの理由は、イギリス軍の装備に不備があったことです。当時のイギリス艦隊が使っていたのがアームストロング砲で、これはものすごい破壊力と射程距離を持つ当時の最新兵器でした。しかし薩英戦争では射撃不良と暴発によって死傷者が出ていたのです。
これらの理由から、イギリス軍は実力を発揮することができず「完全勝利」を諦めたのでした。
よって、「薩英戦争でイギリス軍は薩摩藩を圧倒した」という一般的なイメージとは反対に、どちらかというとこの戦争は痛み分けに終わった形だったのです。
災い転じて……さて、その後どうなったかというと、和平交渉においてイギリスと薩摩藩は、かえってその距離を縮めることになりました。
薩摩藩は、この戦争でイギリスの強さを思い知らされました。これほどの戦力差があっては、外国人を討ち払う「攘夷」は不可能だと気づいたのです。藩内では、むしろイギリスと親交を深めるべきだという意見が出るようになりました。
また和平交渉を経て、イギリスも薩摩藩に対して興味を持ち始めました。