薩摩藩vsイギリス「薩英戦争」実は善戦していた薩摩藩!そのうえイギリスとも仲良しに (4/4ページ)

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この縁があって、のちにイギリスは薩摩の討幕運動をバックアップする形になり、武器弾薬を輸出するようになります。

交渉にあたった薩摩側の藩士たち(Wikipediaより)

さらに薩摩藩にとってラッキーだったことがあります。薩英戦争の和平交渉によって二万五千ポンド(およそ七万両)をイギリスに支払っていますが、藩としての金銭的負担は軽く済んでいるのです。

なぜかというと、この賠償金は幕府からの借用金で支払ったからです。これを完済しないうちに幕府が倒れたため、うやむやになってしまったのでした。

また、うやむやといえば、生麦事件の実行犯の引き渡しについてもそうです。結局「逃亡中」ということで犯人は処罰されていません。

このように見ていくと、薩英戦争というのは、薩摩藩にとっては「災い転じて福となす」あるいは「棚からぼた餅」と言える出来事だったことが分かるでしょう。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

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