謎に包まれた地上絵「サーン・アバスの巨人」の過去がついに明らかに? (3/5ページ)
ヘラクレスは古典世界でもっとも頻繁に描かれる人物のひとりで、彼が持っている節くれだった独特なこん棒は、聖ペテロの鍵や聖カタリナの車輪のように、その人物を識別するヒントとなる
サーン・アバスにも見られるように、動作を感じさせる姿、腹筋、下腹部のライン、裸であることなどすべて、典型的なヘラクレスの描写だ
こん棒と同様にヘラクレスはライオンの皮でできたマントと関連づけられることが多く、もともとはこの巨人像の左腕にかけられていたのではないかと思われる 異教のイメージがあるが、この巨人像は比較的最近の、西暦700年~1100年頃の中世初期に描かれたものだという(所説あり)
この時代は、英国はキリスト教国だったが、一部の集団の中では、ヘラクレス像への関心が根強く残っていた。
ヘラクレスへの関心は、古代に終わってしまったわけではありません。中世を通じてよく知られていた文化的人物だったのですこの神話上の人物は、強さ、男らしさ、そして勇気の象徴としてよく引用されたのだと研究者は指摘する。
この白亜の像が描かれた場所は、西サクソン軍の集合場所だった可能性があるという。
ここは、西サクソン王家所有の地で、集結した軍隊に供給するための豊富な真水や農地がある場所からそれほど遠くない。
また、巨人像が英国がヴァイキングの侵略の脅威にさらされていた時代に生まれたことも偶然ではなさそうだ。
ここから、地元の軍が集結する場所が必要だったことがよくわかる。遠方からやってくる軍隊の集合を調整するなら、ただ「巨大な裸体像付近に集合」と号令するほうが、ずっとわかりやすいだろう。