なぜ絵師がキリシタン摘発の岡っ引きに!?「島原の乱」唯一の生き残り・山田右衛門作の生涯 (2/4ページ)
大名のお抱え南蛮絵師だった
山田右衛門作が描いたとされる天草四郎陣中旗/Wikipediaより
幼い時にポルトガル人に西洋画法を習っていたことがきっかけで、右衛門作は有馬直純や松倉重政、松倉勝家に南蛮絵師(西洋画家)として仕えます。
そして、島原の乱が勃発すると一揆勢に原城に立て籠ります。
実際のところ、右衛門作はキリシタンではありませんでした。しかし、家族が人質に取られてしまったため、仕方なく一揆勢に加担したとのことです。
右衛門作は一揆勢の中では天草四郎に次ぐ副大将であり2,000人を率いて本丸の守備を担当しました。
また、南蛮絵師として『天草四郎陣中旗』を描いたのも右衛門作であると言われています。