なぜ絵師がキリシタン摘発の岡っ引きに!?「島原の乱」唯一の生き残り・山田右衛門作の生涯 (4/4ページ)
全てが終わった後、右衛門作はキリシタンを摘発する目明し(岡っ引き)となり、江戸で暮らしました。南蛮絵師として踏絵用に油絵を描いたと言われています。
また、明暦3年(1657)に起きた明暦の大火以降、松平信綱の屋敷内の番所で喫煙を固く禁じる絵も描きました。
右衛門作の「番人が喫煙により畳を焦がした絵」と「喫煙により番人が処刑された絵」はリアリティに溢れており、これ以降戒めるようになったといいます。
晩年は故郷に帰り、そのまま生涯を終えました。
最後に島原の乱では右衛門作のようにキリシタンではないにも関わらず、強制的に一揆に加担させられた者や戦火を逃れるために仕方なく一揆に加担した者が多くいました。
その者もいながら、全滅させるほどの総攻撃を仕掛けたため、キリスト教をせん滅したい幕府軍の容赦なさがうかがえます。
その中で生き残った右衛門作は、想像を絶する喪失感に襲われたに違いありません。その状況の中でも天寿を全うした右衛門作の生き様に尊敬の念を感じてしまいますね。
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