大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部は本名ではなかった!では本当の名前は……?【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

例えば、文学博士で歴史学者の角田文衛は、藤原道長による『御堂関白記』に注目。1007年(寛弘四年)の条で登場する藤原香子という女性が紫式部だと述べています。ただ、これには反論も少なくないため、今のところ有力視はされていません。

ちなみに、大河ドラマ『光る君へ』の紫式部には、「まひろ」という名前がつけられています。

娘は「藤原賢子」

その一方で、紫式部の娘は「大弐三位(だいにのさんみ)」として知られていますが、彼女の本名は後世にきちんと伝わっています。

これは珍しい例で、その本名は藤原賢子。ただし読み方だけは「けんし」「かたいこ」「かたこ」なのか不明です。

紫式部と娘の大弐三位の歌碑(廬山寺)

彼女は、夫の藤原兼隆が朝廷の官職の中でも最高位の「関白」でした。また、後の後冷泉天皇の乳母も務めており、さらに高階成章と再婚しています。

こんなこともあって彼女は「従三位典侍」という高い官位にまで出世しました。この「三位」と、夫の高階成章の官名を組み合わせたのが大弐三位です。

彼女の本名が後世に伝わっているのは、このように高い地位を得たからこそなのです。

「大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部は本名ではなかった!では本当の名前は……?【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、紫式部源氏物語平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る