もともとは「やよす」?東京の「八重洲」の地名は外国人の名前に由来していた。その名称の変遷を紐解く (2/3ページ)
ヨーステンは徳川家康にヨーロッパ情勢などを説明し、信頼を受けました。
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そして彼は幕府の外交顧問や通訳としての役割を与えられ、住居も与えられます。本名に近い「耶楊子」という名前も与えられ、なんと帯刀を許可されて旗本と同等に扱われたそうです。また、日本人女性と結婚して子供ももうけました。
彼が住んでいたのは、江戸城内郭門のひとつで、馬場先門の北、大手門の南にあった和田倉門のあたりだったといわれています。
「やよす」への当て字当時の人々にとっては、外国人が住んでいるという事実のインパクトがすごかったのでしょう。彼が住んでいたあたりは、彼の名前から「やよす」と呼ばれるようになります。
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その後、ヨーステンは1623年に帰国しようとバタヴィア(当時のジャカルタ)に渡りました。しかしそこでの帰国のための交渉はうまくいかなかったようです。