「この子が男に生まれていれば…」父・藤原為時を嘆かせた、幼少期の紫式部の天才エピソード【光る君へ】 (3/3ページ)
この子が男でなかったことが不幸というものだ」となるでしょうか。
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本来なら、家督を継ぐはずの長男・惟規にこそ、為時は学問を修めてほしかったのでしょう。それだけに、姉の紫式部の頭の良さを口惜しく思っていたのです。
もちろん、惟規も無能だったわけではありません。彼はその後、父の足跡をたどるようにして大学寮で文章生になり、式部省の役人である式部丞や、天皇の秘書官のようなポジションである六位蔵人も務めました。彼もまた非常に優秀な官僚だったのです。
この頃は、家庭教育は七歳頃から行われるのが常でした。よって姉弟の年齢差はそのまま学才の差となっていたのでしょう。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
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