原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【前編】 (3/3ページ)
もともと兼家は、次女である詮子を円融天皇に嫁がせていました。よって、詮子が生んだ自分の孫にあたる懐仁皇子を早く皇位に就かせたいと考えていました。
そこで兼家は一計を案じ、懐仁皇子を師貞の皇太子とします。その上で、円融天皇に譲位を迫っていたのです。
そして、結果として円融天皇は師貞親王に譲位したわけです。兼家の目論見は見事に成功したのでした。
つまり、花山天皇の即位はもともと自分が権力を握るための兼家の企みでもあったのです。彼は、花山天皇をいつまでも天皇の座に就かせておくつもりはなかったと考えられるでしょう。
もともと藤原為時の栄光は、花山天皇の即位あってこそでした。この後、兼家の策謀に巻き込まれる形で、為時はその地位を失ってしまうことになるのです。
その詳細は【後編】で解説します。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
トップ画像(左):大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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