原因はクーデター…紫式部(まひろ)の父・藤原為時の短すぎる栄華と権力争いに巻き込まれた悲劇【前編】 (2/3ページ)
これにより、もともと師貞親王から信頼されていた為時は、式部丞・六位蔵人に任ぜられます。これにより、為時はいっときの「我が世の春」を謳歌することになりました。
この時期の為時は、藤原北家の本流である藤原兼家の子・道兼から宴に招待され、和歌を詠んだりしています。
また、漢詩人としても歌人としても有名な具平親王の詩宴にも、当時の著名な文人たちに交じって参加。詩を詠じたりしていました。
この藤原道兼の宴席で、為時が詠んだという歌が以下のものです。
遅れても 咲くべき花は 咲きにけり
身を限りとも 思ひけるかな
現代語に訳するなら、「咲き遅れている花も、咲くべきものであれば必ず咲く。自分にもう出世の目はないと思っていたものだが」とでもなるでしょうか。
ようやく出世した為時の喜びようが分かる内容ですね。
藤原兼家の策謀しかし、為時の幸運は長くは続きませんでした。実は、彼が出世するきっかけとなった円融天皇の譲位は、藤原兼家の策謀によるものだったのです。