三郎(道長)がミチカネの弟だったなんて……大河ドラマ「光る君へ」1月28日放送の重要トピックを振り返り! (2/5ページ)

Japaaan

玉座)へ女官を連れ込んで事に及んだエピソードが言及されていましたね。

この他にも即位礼の当日に玉冠が重いからと脱ぎ捨てたり、内裏の清涼殿で馬を乗り回そうとしたりなど、血は争えないものでしょうか。

寝所で藤原忯子(井上咲楽)の手首を結わいていた描写も、その表れと言えそうです。そう言えば以前も母親と娘をそれぞれ妾にして云々とか……。

肝心の政務については「内劣りの外めでた」と評されていました。

民心をつかもうと色々励んでいたようですが、理想主義に走りすぎたのか、朝臣らの尻拭いは大変だったと見られます。

有力な外戚(後ろ盾)がいなかったため、2年ほどで出家・譲位することとなったのでした。

一、花山天皇の側近たち

義懐と惟成(イメージ)

さて、そんな花山天皇を支えた側近として、劇中では叔父の藤原義懐(高橋光臣)と乳兄弟の藤原惟成(吉田亮)が登場しました。

彼らは花山天皇の治世において権勢を誇りますが、その終焉と共に政治の表舞台を去ることになります。

それぞれざっくり見ていきましょう。

藤原義懐(高橋光臣)

天徳元年(957年)生~寛弘5年(1008年)没

花山天皇の生母・藤原懐子(かいし/ちかこ)の弟。花山天皇が即位するや蔵人頭に抜擢され、惟成と共に政治を主導しました。

関白の藤原頼忠(橋爪淳)や右大臣の藤原兼家(段田安則)らと三つ巴の政争を繰り広げます。

そのせいで、当初は革新的な政治を目指していた花山天皇の治世も次第に停滞してしまうのでした。

やがて花山天皇が出家すると、惟成の勧めもあって共に出家。

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