ほぼモブキャラ扱い!?大河「光る君へ」で紹介文が短すぎる平安貴族・藤原文範とはどんな人物だったのか? (3/4ページ)

Japaaan

しかし堅物一筋かと思いきや、『大鏡』にはこんなエピソードが残っていました。

『大鏡』が伝える藤原文範の不倫?エピソード

文範と北の方(イメージ)

……玄上の宰相のむすめにや。その後朝の使に、敦忠の中納言、少将にてし給ひける、宮うせ給ひてのち、この中納言にはあひ給へるを、かぎりなく思ひながら、いかゞ見給ひけむ、文範の民部卿、播磨の守にて、殿の家司にて候はるゝを、「我はみじかき族(ぞう)なり。必ず死なむず。その後君はこの文範にぞあひ給はむずる」と、のたまひけるを、「あるまじき事」といらへ給ひければ、「天翔(かけ)りても見む。よに違へ給はじ」などの給ひけるが、まことにさていますがるぞかし。……

※『大鏡』左大臣時平 より

文範の妻は二人おり、一人は藤原正茂女(まさしげ/まさもちのむすめ)、もう一人は藤原玄上女(はるかみのむすめ)でした。

この玄上女はもともと文範の主君である藤原敦忠の正室(北の方)であり、敦忠は死に際して彼女へ言います。

「わしは短命なれば、もはや助かるまい。我が死後は、文範と再婚するのじゃろうな」

永年にわたり仕えてきた文範を信頼して、彼女の後を託そうとしているのでしょうか。

あるいは、彼女と文範が何かしらの関係を有していて、それを皮肉ったのかも知れません。敦忠の言葉を聞いて、北の方は否定します。

「そのようなことがあってはなりません。

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