花山天皇の女御(おんな)たちは早逝した藤原忯子だけじゃなかった!それぞれの生涯をたどる【光る君へ】 (3/5ページ)
しかし藤原忯子が亡くなると再びお召しがかかったものの、病んでいたためこれを辞退しました。
本当に病んでいたのか、あるいは病とは口実で、内心ヘソを曲げていたのか、どちらでしょうか。
「あれだけぞんざいに扱っておいて、お気に入りが亡くなったから戻って来いなんて、そんな虫のよい話があるものですか!」
やがて寛和2年(986年)に花山天皇が出家すると、離婚して藤原実資に嫁いだのでした。
もし本当に病であれば再婚どころではなかったでしょうし、やはり怒っていたのかも知れませんね。
そして長徳4年(998年)9月17日、27歳で世を去ります。
花山天皇の女御・藤原姚子
天禄2年(971年)生~永延3年(989年)5月29日没
藤原姚子(ちょうし/とうこ)は藤原朝光(あさてる)と重明(しげあきら)親王王女の娘として生まれました。醍醐天皇の孫娘に当たります。
永観2年(984年)に入内し、麗景殿を住まいとしました。大層な鳴り物入りで嫁いだものの、肝心の花山天皇からは寵愛を受けられません。
およそ1ヶ月で内裏を離れてしまいましたが、花山天皇は何も言わなかったそうです。心底どうでもよかった感が否めませんね。
住んでいた場所から堀河女御とも呼ばれ、永延3年(989年)5月29日に19歳の若さで世を去ったのでした。
娘に先立たれた朝光の哀しみはいかばかりだったでしょうか。