花山天皇の女御(おんな)たちは早逝した藤原忯子だけじゃなかった!それぞれの生涯をたどる【光る君へ】 (4/5ページ)
花山天皇の女御・藤原 諟子
生年不詳~長元8年(1035年)6月21日
藤原諟子(しし/ただこ)は生年不詳、藤原頼忠(よりただ)と厳子(げんし)内親王の間に誕生します。
永観2年(984年)に入内し、承香殿を住まいとしました。
特別に寵愛されることはありませんでしたが、その代わりなのか花山天皇から何かと目をかけてもらっていたと言います。
熱しにくく、冷めにくい。そんな関係だったのかも知れませんね。
和歌を巧みにしたことから『後拾遺和歌集』など勅撰集に3首の和歌が採用されています。
そして花山天皇の女御たちでは最も長寿を誇り、長元8年(1035年)6月21日に世を去りました。
生年不詳なので確定ではありませんが、入内時点で15歳(天禄元年・970年生まれ)だった場合、66歳という計算になります。かなりの長寿ですね。
花山天皇最愛の女御・藤原忯子安和2年(969年)生~寛和元年(985年)7月18日没
藤原忯子(しし/よしこ)は藤原為光の娘として誕生します。
永観2年(984年)に入内し、懐妊したものの間もなく急死。まだ17歳という若さでした。