カッパドキアの岩窟村「ウチヒサール城」の謎 (2/5ページ)
たくさんの地下通路が交差していて、その内部や地下にはおびただしい数の部屋がある。
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かつてこの岩城には1000人もの人が住んでいたとされるが、残念ながら無人となった現代では主要な観光地と化している。
城というと、多くの人は古典的な中世の人工建造物を思い浮かべるだろうが、ウチヒサールはまったくの自然の造形物で、凝灰岩という柔らかな火山岩の侵食によって形成されている。
何百万年にもわたって風や水が地形を削り、カッパドキア独特の煙突形状を生み出した。ウチヒサールはこの地域最大の「煙突」をそなえ際立っていて、遠くからでも見ることができる。
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Turkey - Cappadocia - Uchisar Castle・厳然たる歴史の証人
ウチヒサール城は地質的な魅力だけでなく、地域の歴史において極めて重要な役割も担ってきた。東ローマ帝国時代(約4世紀から15世紀初頭)や、東ローマ帝国を征服したオスマン帝国時代(5世紀~)などさまざまな時代に、ここは防衛や監視といった戦略的拠点として機能した。
高台にあるため、周囲を一望することができ、地域を防衛、管理しようとする者にとって有利だった。
城の戦略的重要性は、内部に作られたトンネルや部屋のネットワークによって強調されている。戦時や災害時には、地元の村人たちはここの高い岩の防御壁の内側に身をひそめた。
この城のことが初めて具体的に言及されたのは、アジズ・イブン・アルダシルという人物による14世紀の年代記の中だった。