逃げ出した指揮官…幕末「鳥羽・伏見の戦い」で圧倒的戦力の旧幕府軍が敗北した理由【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

鳥羽街道を守っている薩摩兵に接触しました。

街道の起点にあたる四塚関門を封鎖していた薩摩兵たちと、指揮官の大目付・滝川具挙は直談判に及びます。しかし、もちろん薩摩兵は通過を許しません。

この時、薩摩兵は「京から通行の許可が下りるのを待っていてくれ」と伝えます。

それに従って、その場にとどまった幕府軍。彼らはこの場は話し合いで収めようと考えていたこともあり、すぐに戦闘とはなりませんでした。

そのため、幕府軍は全く戦闘準備を取っていなかったのです。銃には、弾も込められていなかったと言われています。

明治維新・伏見の戦跡碑(Wikipediaより)

そうこうしているうちに日没になり、旧幕府軍は前進する動きを見せました。薩摩兵はこの機に乗じて幕府軍を包囲すると、まったく無防備だったところに攻撃を仕掛けたのです。

当然、幕府軍の歩兵たちは大混乱に陥ります。混乱したのが歩兵だけなら良かったのですが、なんと指揮官の滝川は馬で逃げ出してしまいました。発砲に驚いた馬が後方へ退いたのですが、彼はそのまま前線に戻らなかったのです。

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