逃げ出した指揮官…幕末「鳥羽・伏見の戦い」で圧倒的戦力の旧幕府軍が敗北した理由【後編】 (1/4ページ)

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逃げ出した指揮官…幕末「鳥羽・伏見の戦い」で圧倒的戦力の旧幕府軍が敗北した理由【後編】

勝敗を分けたのは…

【前編】では、鳥羽伏見の戦いで、実は新政府軍の装備は旧幕府軍に比べて非常に劣っていたことを説明しました。

ナメていた旧幕府軍…幕末の「鳥羽・伏見の戦い」で新政府軍が圧倒的戦力の旧幕府軍に勝利した理由【前編】

では、そんな新政府軍がこの戦いで圧勝したのはなぜだったのでしょう?

鳥羽・伏見の戦いで征討大将軍に任命された小松宮彰仁親王の像

答えはシンプルで、兵たちの戦意の高さと指揮官の質に差があったのです。

当時の新政府軍の兵たちは、かなりの士気の高さでした。何せ、ここで負ければ政府の崩壊につながりかねません。

しかしその一方、旧幕府軍は強大な兵力と最新鋭の兵器にすっかり慢心し、戦意も低かったのです。簡単に言えば、新政府軍をナメていたんですね。

逃げ出した指揮官

当時の流れを追ってみましょう。1868年1月3日の午前、旧幕府軍は京都へ進軍。

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