「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【後編】 (3/4ページ)

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しかしそれでも、官軍の証である御旗が掲げられたことは、戦場に大きな影響をもたらしました。

まず、新政府軍の薩長の兵士たちです。錦の御旗が掲げられたことで、彼らの士気は大いに高まり、涙を流しながら旧幕府軍に立ち向かっていく者もいました。

一方、旧幕府軍の兵士たちは大きな精神的ダメージを負うことになります。何せ、相手方に錦の御旗が掲げられたということは、自分たちは「逆賊」の烙印を押されたことを意味します。このため、幕府軍からは多くの離脱者が出ました。

間接的に歴史に与えた影響

さらに、錦の御旗によってショックを受けて、鳥羽伏見の戦いどころか歴史全体にまで大きな影響をおよぼしたのが徳川慶喜です。

もともと慶喜は水戸藩の出身なので、皇室を敬う勤皇思想の持ち主でした。自分が総大将を務める旧幕府軍が逆賊として認定されたのですから、衝撃を受けないわけがありません。

幕末の歴史の謎のひとつに、慶喜はなぜ1月6日に自軍の将兵を置き去りにして江戸へ帰ってしまったのか…というのがありますが、意外と答えはシンプルで、彼は錦の御旗が掲げられたことに大きなショックを受けたのでしょう。

幕末の歴史において、政治家として怪物めいた手腕を発揮し、朝廷も諸侯も薩長も、そして諸外国すらも振り回した徳川慶喜。そんな彼も、さすがにこの時ばかりは平静を保てなかったのです。

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