なんとシカの頭を75頭、ウサギを串刺し…諏訪大社で行われる謎の奇祭「御頭祭」はユダヤ教と関係? (3/4ページ)
アブラハムは代わりに藪に角をひっかけた山羊を生贄にした。この儀式はユダヤでは「イサクの燔祭」といって最重要な儀式となっている。
・御頭祭は別名「ミサクチの祭」と呼ばれているが「ミサクチ」はヘブライ語で「ミイツハク」に似ており「イサク由来の」という意味である。
ではなぜこのような類似点が発見され、諏訪がユダヤとの関係があるのではと疑問が抱かれたのか、順を追って説明します。
出雲から逃げてきた諏訪氏vs土着民の守矢氏?諏訪大社の創建は『古事記』によると
“建御雷尊(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫った際に、大国主命の次男の建御名方命が建御雷尊に戦いを挑んで阻止しようとした。しかし建御名方命は負けてしまい、諏訪の地まで逃れた”
ということで、この建御名方命の依り代とされたのが諏訪氏であり、代々「大祝(おおほうり)」と呼ばれる神職を世襲で務めて諏訪も明神の「現人神(あらびとがみ)」として崇敬されていました。
一方、守矢氏はいつごろから諏訪にいたのか始祖がはっきりしません。しかし古くからこの土地に住んでいたことは間違いなく、その証拠に地元の神話には洩矢神(もりやのかみ)が登場します。
出雲から諏訪に来た諏訪氏と争いをして負けて、国を譲る代わりに諏訪大社の祭祀を務めるようになったという伝説があります。この守矢氏は代々諏訪大社の神長官を務めており、現在も諏訪大社の近くに「神長官守矢史料館」があり、御頭祭の復元などを見ることができます。このことから、諏訪が現人神として祀られ、負けた守矢がその祭祀を行うという制服された図式にも見て取れますね。
守屋山がご神体のように記述している最古の文献は天文22年(1553年)の『上宮鎮坐秘伝記』で、
“古記に云はく、神の岩隠か、諏方国鎮座の処、宮社を造らずして、唯拝殿を之を建て、山を以て神体と為して之を拝す”
とあります。これだといかにも守屋山=ご神体というのは後付けのように捉えられてしまいますが、元々土着だった守矢氏の信仰や伝説が、諏訪大社のご神体だということになってしまって、混同されてしまったのでしょうか。