「光る君へ」の清少納言(ききょう)実はすでに人妻で子供もいた!息子・橘則長はどんな人物?その生涯をたどる (3/4ページ)
熱心な働きぶりが認められたか、治安元年(1021年)には六位蔵人となりました。
後に図書権助(ずしょごんのすけ。文書管理部署の副官)や修理亮(すりのすけ。営繕部署の副官)、式部丞(しきぶのじょう。官僚養成所の幹部)などを兼任します。
まさに縁の下の力持ち。華やかさには欠けるけど、優秀なればこそ、こういう実務的な部署で重宝されたのでしょうね。
そして万寿元年(1024年)に晴れて従五位下に叙せられ、殿上人(てんじょうびと)の仲間入りを果たしたのでした。時に43歳。
殿上人とは代理に昇殿できる身分を指し、五位以上の位階が求められます。ただし蔵人らは天皇陛下にお仕えする都合上、六位以下でも昇殿していました。
長元6年(1033年)には越中守に任官。現代の富山県に当たる国の長官ですね。
きっと意気揚々と赴任したことでしょうが、翌長元7年(1034年)4月に現地で卒去してしまいました。享年53歳。
橘則長・略年表