「光る君へ」の清少納言(ききょう)実はすでに人妻で子供もいた!息子・橘則長はどんな人物?その生涯をたどる (4/4ページ)
土佐光起筆
天元5年(982年) 誕生(1歳) 寛仁元年(1017年)11月 非蔵人(36歳) 治安元年(1021年)1月 六位蔵人(40歳) 同年8月29日 図書権助 治安2年(1022年)3月29日 修理亮(41歳) 治安3年(1023年)2月 式部丞(42歳) 万寿元年(1024年) 1月 従五位下(43歳) 時期不詳 橘忠望女(能因法師の姉妹)と結婚 万寿2年(1025年) 嫡男・橘則季が誕生(44歳)※このころ、母の清少納言が亡くなる 時期不詳 庶子・橘則孝(母親不明)が誕生 長元6年(1033年)1月 越中守(52歳) 長元7年(1034年) 4月 卒去(53歳)
【没後】
応徳3年(1086年)9月16日 白河天皇の勅撰和歌集『後拾遺和歌集』が完成、和歌が3首入選 永享11年(1439年)6月27日 後花園天皇の勅撰和歌集『新続古今和歌集』が成立、和歌が1首入選 終わりに以上、清少納言と橘則光の息子である橘則長の生涯をたどってきました。
則長は一条天皇・三条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇と4代の天皇陛下に仕え、実務面から朝廷を支えたことが分かります。
紫式部の没年は長和3年(1014年)から長元4年(1031年)まで諸説あり、大河ドラマでどの説が採用されるかは分かりません。
だから則長がどこまでストーリーにからんでくる可能性があるかも未知数なので、ワンチャン出番に期待しましょう。
よく清少納言は「中宮定子の没後に宮中を去り、晩年は落ちぶれた」と言われます(没年は不詳)。
しかしこれだけ頼もしい息子がいれば、少なくとも食うに困ったり、野垂れ死んだりようなことはなかったのではないでしょうか(母子関係にもよるでしょうが……)。
ちなみに清少納言は再婚相手との間にも娘の小馬命婦(こまのみょうぶ)を生んでおり、そちらの話も改めてできたらと思います。
※参考文献:
岸上慎二『人物叢書 清少納言』吉川弘文館、1962年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan