上杉謙信は本当に敵に塩を送る義の武将なのか?「あの歴史偉人“裏の素顔”」 (2/2ページ)

日刊大衆

 その8年後、謙信が関東管領を放逐した氏康を懲らしめるための「義軍」を挙げると、関東の諸将はその威風になびき、11万を号す大軍になったと軍記物で語られる。その謙信の大軍は、氏康の居城・小田原を囲んだが、天下の名城は簡単に落ちず、鶴岡八幡宮(鎌倉市)の社前で憲政から上杉家の家督と関東管領職を譲られ、越後へ帰ったとされる。

 これも彼を「義将」とする理由だ。しかし、関東を侵略者(北条)から守るための「正義」の軍勢であるはずのところ、上杉勢が相模国で村を焼き払い、逃げ惑う者の衣服まではイラスト/萩山明日香ぎ取ったという乱暴狼藉ぶりを記した史料も現存する。

 こののち18回を数える関東出兵のうちの8回は、秋および冬に出兵し、関東で越冬している。二毛作のできない越後の兵たちは、ちょうど食糧不足に直面する時期に関東で越冬していることになる。越後より豊かな関東への出兵には、越冬用に蓄えた関東の収穫物を収奪する狙いがあったという説もある。その真偽は不明だが、上杉軍が決して「正義の軍」でなかったのは確かだろう。

跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。
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