キレやすい性格が災い「上杉謙信の突然死の謎」あの歴史偉人「裏素顔」 (2/2ページ)

日刊大衆

 その生涯で武田信玄や北条氏康らの名だたる武将と戦ってきた謙信最後の相手は、かの織田信長。天正五年(1577年)九月、今回の能登半島地震の被災地になった七尾城を織田方から奪い、そのまま軍勢を加賀へ攻め入らせ、織田軍に大勝したのだ。

 謙信はその後、七尾から居城の春日山城(新潟県上越市)に戻るが、翌天正六年、『謙信軍記』に、三月に厠で倒れ、「ついにやまずして同十三日薨去」とある。

 米沢藩上杉家の編纂史料『上杉家御年譜』によると、そのまま寝込んだ状態となり、その日の未の刻(午後2時頃)に亡くなったという。急死であるのは疑いがない。

 謙信の養子である景勝の書状は、その死因を「中気」だとする。いわゆる脳卒中(腹痛の発作および、がん説もある)。謙信が大酒飲みだったこともあろうが、ストレスも大きな要因。短気で日頃からイライラしていると、ストレスがたまりやすい。英雄の意外な一面が死を招いたといえなくはない。

跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。
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