なぜ中関白家と呼ぶ?「香炉峰の雪」の元ネタ、蔓延した疫病の実際…大河ドラマ「光る君へ」4月21日放送振り返り (6/8ページ)

Japaaan

相次ぐ放火

放火された弘徽殿(イメージ)

劇中でも言及されていたように、正暦5年(994年)2月に代理の後涼殿(こうりょうでん)・弘徽殿(こきでん)そして飛香舎(ひぎょうしゃ。藤壺)が放火により焼失しました。

果たしてこれは何者の仕業だったのでしょうか。

ハッキリしたことは書かれておらず、あまりにも身に覚えがあり過ぎたから、いちいち咎めなかったのかも知れませんね。

あるいは東三条院ではありませんが、大物過ぎて表立って事を構えたくない相手だった可能性も考えられます。

当時はあちこちで放火が横行しており、セキュリティ体制がどのようになっていたのか、興味はつきませんね。

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