サハラ砂漠は緑豊かな場所だった。4000年前の岩絵に牛の姿 (2/4ページ)
そこには水たまり、川、沼、滝があり、ゾウ、サイ、チーターなどいわゆるアフリカの動物たちがあふれていた。つまり、今日とはまったく異なる光景が広がっていたのだ。
牛は単なる食料やミルクの供給源だけではなかったようだ。岩絵や考古学記録を詳しく調べてみると、牛がかなりデフォルメされて描かれていることがわかる。
角は変形され、皮膚は装飾され、首には人工的なひだ、つまりペンダントのようなものが描かれている。
大きな墓地に人間と共に埋葬された牛の例もあり、人間、動物、集団のアイデンティティの密接な関係を象徴しているといえる。
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かつてこの地域では人間と動物の間に強い絆があったことがわかる / image credit:Julien Cooper・サハラに気候変動の危機
およそ紀元前3000年頃に湿潤期が終わり、すべては急速に悪化し始めた。湖や川が干上がり、枯れた草原を砂が飲み込んだ。
当時の人類は、砂漠化した土地を捨てるか、新たな乾燥期に適応するしか生きる術はなかった。
水のある土地を求めてサハラを捨てた者たちにとって、最良の地はナイル川流域だった。この過酷な時期がエジプトやスーダンの都市農耕文明の勃興につながったのは偶然ではない。
岩絵が見つかったワディハルファ周辺のような砂漠では、ほぼ人がいなくなった。居残った人たちは、ヒツジやヤギを優先して牛を見捨てた。
この状況は、牛と密接な関係にあった遊牧民にとって、アイデンティティやイデオロギー的にも、食料や移動パターンなど人間の生活のあらゆる面においても大きな転換点となった。