サハラ砂漠は緑豊かな場所だった。4000年前の岩絵に牛の姿 (3/4ページ)

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岩絵のもっとも一般的なモチーフは牛だった / image credit:Julien Cooper・歴史の新たな段階
 ナイル周辺に移住し、新たな生活を始めた者たちにとって、牛は相変わらずアイデンティティと重要性のシンボルだった。

 スーダンの古都ケルマでは、集団のリーダーたちが死ぬと牛の頭蓋骨で囲まれた立派な墓に葬られた。ひとつの墓に4899個もの頭蓋骨が置かれた例もあった。

 現在でも、南スーダンやアフリカ最東北端の多くの地域では牛を文化的に奉る同様の習慣が残っている。

 古代サハラと同じように、牛が装飾されて特別扱いされ、葬儀において重要な役割を担っている。

 急速な気候変動と環境の悪化にさらされつつある現在、経済や生計の問題を超えて、どのように現状に適応していくかを私たちは考えなくてはならない。

 文化のもっとも基本的な共通項のひとつは私たちが共有する風景との関係だ。環境が変化すれば、好むと好まざるにかかわらず、新たなアイデンティティ、シンボル、意味を生み出すことを強いられるものなのだ。

 この発見は『The Journal of Egyptian Archaeology』誌に掲載された。
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