幻と消えた「徳川新政府」構想!実は徳川幕府が先に議会開設・普通選挙・象徴天皇などを考えていた (3/4ページ)
大坂に行政府を設置し、1万石以上の大名で構成された上院と、各藩主に選ばれた議員各1名で構成された下院を設置。そしてこれらを最高指導者の大君が統括するというスタイルでした。
もちろん、大君となるのは徳川家の当主です。天皇については、改元や爵位の授与などを扱う象徴的な存在に収めようとしていました。
西の案は「将軍家は天皇から政権を委任されている」という江戸幕府の建前と相性がよく、幕臣にとっても受け入れやすかったようです。この案に慶喜も理解を示し、他の幕臣にも議会制は伝えられています。
選挙制度も提案されていたこの他にも、慶応3年(1867)には「日本国総制度」という新体制案が、開成所の教授である津田真道によって立案されています。
この新体制案は、トップが徳川将軍であるという点は上述の西の案と同じですが、津田案の目玉は一般国民から議員を選出するという点でした。
どういうことかというと、上院は旧武士階級が占めるものの、下院は全国民のうち100万人につき1人を選抜して構成するというものだったのです。
これはまさに選挙制度の導入です。