幻と消えた「徳川新政府」構想!実は徳川幕府が先に議会開設・普通選挙・象徴天皇などを考えていた (4/4ページ)

Japaaan

普通選挙法が施行されるのが大正14(1925)、制限選挙でも明治22年(1889)施行なので、それよりも前から徳川幕府は数十年も前から民主的な政権運営を計画していたことになります。

象徴天皇制や選挙制度が江戸時代に既に発案されていたことに驚く人も多いのではないでしょうか。もちろん、これらの案はその後の明治新政府にも大きな影響を与えています。

もし、その後も慶喜が主導権を握り続けていれば、西の案をもとに議会が設立されていた可能性が高いでしょう。幕府による「徳川新政府」が実現していたことは十分考えられます。

江戸城桔梗濠と巽櫓。ここで「徳川新政府」が立ち上げられた可能性もあった?

ただ「徳川新政府」が仮に実現したとしても、うまく近代化が進んだかどうかは分かりません。幕藩体制の権力図が継承されれば、側近や旧幕府重鎮の権力は高いままだったと考えられるからです。

幕藩体制の改編だけでは、明治維新ほどの鮮やかで大胆な改革を実現するのは難しかったでしょう。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「幻と消えた「徳川新政府」構想!実は徳川幕府が先に議会開設・普通選挙・象徴天皇などを考えていた」のページです。デイリーニュースオンラインは、西周津田真道徳川新政府明治維新徳川慶喜カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る