ヒーローなんかじゃない!?実は江戸や東北の庶民からはブーイングの嵐だった「明治新政府」の存在 (2/4ページ)

Japaaan

最後の「将軍」徳川慶喜の墓

そうした事実は、当時非合法に発行されていた風刺絵から読み解くことができます。

江戸時代を通じて、庶民は政権を批判することを厳しく禁じられていました。このため、新政府ができてもこれを批判する手段を持っていませんでした。新聞のようなマスメディアも、当時はまだ生まれていなかったのです。

しかし、慶応4年(1868)の春頃から状況は変化します。風刺目的の錦絵が大流行したのです。

幕府は、印刷物については発行者を明記するよう義務づけらていましたが、その幕府がなくなったためか、発行元を記さない錦絵が大量に出回りました。

それらは、戊辰戦争を相撲に見立てたものや、旧幕派と薩長の対立を忠臣蔵で表したものや、くじ引き会場で会津が一等を取るように願うもの、会津が薩長を追い払う様子を描いたものなどだったのです。

こうした錦絵が庶民の間でウケて、江戸だけで30万部も売れたというから驚きです。

実は多くの血が流れた明治維新

江戸の庶民が旧幕派を応援したのは、新政府軍の横暴に嫌気が差していたからに他なりません。薩摩は幕府を挑発するために一般庶民を襲い、幕府寄りの商屋を焼き討ちするなどしていました。テロです。

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