『源氏物語』が結んだ紫式部と藤原道長の絆…未亡人の紫式部がパトロンを得て世界的古典を書き始めるまで (4/4ページ)
いつ、どんな経緯で書かれたのか
静岡英和学院大学元教授の沢田正子氏は、『紫式部日記』をはじめとする数々の史料を紐解いた結果、次のように考えています。
紫式部は夫の没後、実家にあって孤独のつれづれのなかに筆をとりはじめ、巻毎に少しずつ書き継いでいきました。
そして読者の反応や要望なども考慮しながら、世評に合わせて巻を重ねていったというのです。
この物語がある程度世に出た頃、世人の高い評判に注目し出仕を勧めたのが、藤原氏の氏の長者である関白・藤原道長だったのでしょう。
そして道長は、紫式部が執筆活動をするのに十分な時間と空間を与えました。
また当時としてはかなり貴重だった紙や筆という文具も上等なものをそろえ、物心ともに協力態勢を整えていたというのです。
もちろん道長には個人的な思惑もあったでしょうが、つまりは彼が、『源氏物語』の作者としての紫式部のパトロンになったわけです。
『源氏物語』は、未亡人である紫式部と藤原道長をつなぐ大きなきっかけでした。そう考えると、なるほどそこにはドラマの生まれる余地がありそうですね。
また他の学者も、紫式部は須磨流寓から都召還を描いた途中くらいまでは出仕以前から執筆していたのだろうと推測しています。光源氏の生い立ちと藤壺・紫上との関係を描いた部分ですね。
紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは、彼女が33~36歳の頃と見るのが妥当なようです。
それは夫・宣孝の喪が明けた長保4(1002)年から、出仕を始めた寛弘2(1005)年頃までの間にあたります。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)
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