痛烈批判あれば大絶賛も…紫式部は、清少納言・和泉式部・赤染衛門をどう評価したのか?【後編】 (2/5ページ)
菊池容斎『前賢故実』より和泉式部(Wikipediaより))
和泉守・橘道貞の妻として娘をもうけながら、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王、続いてその弟・敦道親王との恋愛によって結婚生活を破綻させたとされています。
父親である大江雅致はついに娘を勘当し、藤原道長も彼女を浮かれ女と呼びました。
これだけでも彼女の評判が悪いのは想像がつきますが、実は紫式部は、彼女を次のように評しています。
和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと。
(和泉式部には感心できない面もありますが、ちょっとした走り書きの文中にも、その方面の才能のある人で、何気ない言葉遣いに色つやが見えるようです。和歌にはとても趣があります)
当時の和泉式部の評判は、おそらく散々だったと思われます。しかし紫式部は公平な視点から、彼女の文才を認めていました。
数々の男性との浮名を流し「恋多き女」として有名な和泉式部。