江戸時代の参勤交代制度の“真の目的“とは?「各藩の経済力を削ぐため」は俗説で40年前に否定されていた【後編】 (2/4ページ)
園部藩参勤交代行列図(一部)南丹市文化博物館蔵・Wikipediaより
しかし大名たちは、参勤交代を行う際には大勢の人を雇い、城下町を出るまでは立派な服装に着替えるのが常でした。そうして領民たちに威容を示していたのです。
そして町外れで解散すると、供回りの者たちは旅をしやすい服装に替えて小規模な行列に改めて江戸に向かいます。
そうして、江戸に入る前にまた人を雇って行列の威容を調えたといいます。
将軍のいる都・江戸の庶民にみすぼらしい姿は見せられないということだったのでしょう。
こうして、参勤交代は各大名家の権威を示したり家同士の見栄を張り合ったりするイベントになってしまい、大名家の財政支出を必要以上に膨らませる結果になりました。
家光はそれに危機感を持ったわけです。
昔ながらの慣習【前編】で挙げた武家諸法度の内容からは、幕府は大名の経済力を削ぐどころか、経費を削減して分相応の支度で参勤するように命じていたことがわかります。幕府は、参勤交代が無駄に華美になるのを抑えようとしていたのです。
先述した通り、家臣が主のもとに参勤するという慣習は大昔からありました。鎌倉時代の御家人たちが鎌倉に出仕することにまで起源を遡ることができるのです。
室町時代は、守護大名は京都に在住させられました。応仁の乱でその慣習は中断しましたが、織豊政権時代にはその制度が復活。豊臣秀吉などは、諸大名へ京都に屋敷を造らせて在住させています。