実は目が見えていた!?奈良時代、艱難辛苦を経て来日した高僧「鑑真」の業績と作られた伝説 (2/4ページ)
ある時は鑑真を渡海させたくない弟子たちの妨害にあったり、船出したはいいものの難破したり、はるか海南島に流されたり、その途上で多くの弟子を失ったり、もう散々でした。
「五回も渡海に失敗した」と一言でいえば簡単ですが、当時の渡海はまさに命がけで、それでもめげずに鑑真は日本に来てくれたのです。
まさに艱難辛苦の末の来日でした。彼は753(天平勝宝5)年に薩摩の坊津に入り、そして翌年に平城京に入ります。
当時の聖武上皇は、授戒の権限をすべて鑑真に委ね、自らも鑑真から戒律を授けられました。そして後に鑑真のために唐招提寺が建立されます。
このよく知られた鑑真の苦難のエピソードは、鑑真の死去(763[天平宝字7]年)から一年後に淡海三船によって記された鑑真の伝記とでもいうべき『唐大和上東征伝』に記されています。
と、少し鑑真の業績の紹介が長くなりましたが、驚くべきは彼の「ある伝説」が実は間違いだったという点です。
来日時は失明していなかった2009(平成21)年、奈良国立博物館の西山厚学芸部長が衝撃的な発表をしました。なんと、日本に渡来した時に鑑真は目が見えていたというのです。