俗説と誤解に満ちた室町時代の歴史イメージ!金閣は国宝ではない?銀閣に銀箔は貼られていない? (4/4ページ)

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「応仁の乱勃発地」の石碑(京都市)

さらに、これと関連するもうひとつの大きな誤解についても説明しておきます。

応仁の乱後の京都は荒廃し、幕府や将軍の権威は失墜したとよく説明されますが、これはかなり雑な説明だと言えるでしょう。

実際には京都全体が焼亡したわけではなく、火に見舞われたのは二条より北で、商業地域は焼失を免れています。

また、義政は東山殿の造営にあたって段銭(臨時の税)と夫役(労役)を住民に課しています。このことからも、のちの銀閣となる東山殿の造営時も室町幕府の権能は失墜していなかったことが分かります。

またこの要請に応えられる住民も存在しており、決して京都市内全域の焼亡には至っていなかったのです。

こうした事柄を見ていくと、室町時代に関する一般的な情報は誤解と俗説が多いことが理解できるでしょう。

小・中学校程度の教科書レベルの知識にとどまっている方は、いま改めて室町時代のことを調べ直してみると、新しい発見がたくさんあるかも知れません。

参考資料:
浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社

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