「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【前編】 (3/4ページ)

Japaaan

実際、教科書の記述を見ると、「武士のおこり」を10世紀ごろとし、「地方豪族や有力農民は、勢力を維持・拡大するために武装するようになり、各地で紛争が発生した」(『詳説日本史B』 山川出版社)と記されていて、上記のようなイメージと結びつきやすくなっています。

もちろん、こういった人たちも武士ですが、教科書では彼らのことは他の武士と区別して「兵」と呼んでいることに注意が必要です。

ここでひとつ考えてみたいのは、「承平天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)」「平忠常の乱」「前九年合戦(前九年の役)」「後三年合戦(後三年の役)」に登場する武士たちの「棟梁」は、自分の土地を守るために武装した、地方の無法集団のリーダーだったのでしょうか。

大手町にある将門塚

棟梁たちの正体

実はそうした「棟梁」たちは、いずれも貴族の藤原氏が祖であったり、「清和源氏」「桓武平氏」の名の通り、皇族の血を引いていました。

彼らは都の有力貴族・皇族を祖とする者が地方に行き、地元の勢力にその名望から受け入れられて担がれたような人々だったのです。

とはいえ、彼らは地方に自分たちの領地を保有して支持層を養いながらも、官位・官職を得て都で生活をしていた人々でした。地方に完全に土着していたわけではなく、武力で朝廷に仕えている立場だったのです。

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