318万年前の化石人類「ルーシー」は毛深くなかった (3/6ページ)

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 そこで夫婦の契りを守るために、何らかのメカニズムが必要だった。ケルトナー氏は、そのメカニズムこそが羞恥心だったのだろうと推測する。

 同氏は、ドキュメンタリー映画『ヌードの何が問題なのか』の一節をこう引用する。
裸は根幹となる社会契約に対する脅威ある。それは背徳への誘いだからである……羞恥心は、私たちが配偶者に忠実であるよううながし、子供を育てる責任を共有する
・裸と社会規範
 そもそも”裸”という概念自体が風変わりなものだ。それは体毛を捨て、さらに衣服を身にまとい、裸を禁止することによってのみ成立する。

 人類の文明が発展するにつれて、罰則・法律・秩序といった社会を維持するための手段もまた発達した。このときとりわけ女性に関連するものほど整備されていったに違いないと、ケルトナー氏は推測する。

 こうして”裸”と”恥”の関係が生まれた。裸になるということは、社会規範を乱す行為だ。それゆえに恥ずかしさを感じる。

 もちろん、時と場合によって、何が裸であるのか往々にして変わるものだ。

 例えば、ビクトリア時代のイギリスでは、足首を出すだけでスキャンダルだったが、今日では海に行けば、ほとんど裸に近い格好なのが当たり前だ。

 また裸は、羞恥心以上の意味を持つこともある。

 例えば、ヨーロッパ芸術における”ヌード”は、女性の裸体を男性にとって快楽的な見世物に変えたもので、衣服を着ていない生まれたままの姿という意味の”裸”とは違うのだという。

 このように裸は、羞恥心のほか、エロティシズムや親密さ、あるいは弱さや恐怖といったものまで、さまざまな感情を生じさせる。

 だがいずれにせよ、社会的な規範や文化な慣習といったものがあるからこその裸なのだ。
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